さよなら、もの

iTunes StoreがCDをなくしつつあり、次はキンドルが本を不要にしていくか、というような話が僕のTwitterTL上でよく聞かれるよこの頃。


もともと「ジャケ買い」という文化がよくわからなかった。少ないお金を最大限いい音楽に使いたいと思ったときに「ジャケ買い」なんてとんでもない選択肢だ。まず9割9分失敗するとみてよい。「ジャケ買い」するならCDを聴かないほうが満足するんじゃないか。でもせっかくだし聴こうということになるし、そうなると後悔するのが目に見えている。いやいや、そういうことを考えている時点で貧乏人なのか。


あたりまえだけど、CDを買うとCDが増える。これの収納がまた難しい。CDラックのタワーにぐわーと納めると「音楽知ってますよ、あ、オーディオもこだわってるんです」感が漂うし、立てかけてジャケットをインテリアのアクセントにするのも「ザ・おしゃれ」みたいで気が引ける。「ジャケットをインテリアのアクセント」と書いている時点で横文字が多くおしゃれである。
そうなるとCDは平積みでガサツに積まれているのが気張ってなくてもっと格好いいんじゃないかとも思うが、そうやって雑に扱ってると間違いなく「違うCDが入ってるCDケース」が出現するし、「何も入っていないCDケース」「どこへ行ったかわからないディスク」「なんか水分でべろべろになったジャケット」「真ん中のツメが全部折れてディスクが固定できないCDケース」などの不具のものたちが続出する。どうすればいいのか。
あと、最近増えたのが紙ケースである。紙はいつのまにかオシャレということになっていた。僕が持っている一番へんなのは、お茶っ葉の詰まってそうな長い紙袋を半分に折ってシールで止めたCDケースだ。中にディスクと歌詞カードが入ってるが、一度開けると元にもどらない。関係ないけど歌詞「カード」ってなんだ?べつにカードじゃないぞ。
だんだん思い出してきた。昔主流だったシングル用のあの小さいCDはなんだったのだろうか?怖くてPCに入れられないよ。あれのケースはなぜ2倍の長さあったのだろうか。歌詞が書ききれないからだろうか。ともかく、あの妙なプロポーションのジャケットで自分の世界観を表現せざるを得なかったミュージシャンたちがかわいそうだった。
僕が好きだったのは、はじめて買った洋楽、スマッシング・パンプキンズの2枚組で名前が長いアルバムのジャケットだ。幻想的な童話みたいな絵、パステルカラーの紙に書かれた歌詞、一曲ずつに与えられた判子の図柄。しかし、印象に残りすぎて聴くたびに「中2」を思い出すのである。あの頃ラグビー部に入ったんだけど何で昔はあんなに向上心がなかったんだろう今ならもっと練習するのになぁでも試合したいあれは楽しい、とか、べつに思い出したくもないのに、毎回思い出さなければならないというのはいかがなものか。買ったCDというのは、すぐ「その頃のこと」と癒着するからウェットでよくない。


そんなわけで、CDを買うといろいろとえらく面倒なので、iTMSでダウンロードするのが楽ちんでよいのである。
あまりに楽ちんなので金銭感覚もなくなって、ポチポチ買っている。試聴できるから大きくハズれることもない。音楽データそのものしかないんだから純粋に音楽だけで勝負なわけだ。そしてなによりダウンロード画面を見るのが楽しい。ライブラリ目がけて青いゲージが雪崩れ込んでくるのだ。


というわけでiTMSバンザイなのである。ただし今後こういうくだらないブログが書けなくなるかも知れない、という一点を除いて。

ナカミだけをインストールする世界では生真面目な人が増えるんじゃないか。かつて攻殻機動隊に出てくる人たちがことごとく生真面目だったように。あるいはPCが生真面目なように。