初音ミク論 その1

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たとえばブログに、ネットの掲示板に、あるいは貸しスタジオのメン募欄に、次のような書き込みがあったら人は何を思うだろうか。

「。。どうも、ハットリ(Vo, Gt, Ba)です。僕の新曲「さくら」の音源です。どうぞ聞いてやってください。」

……うん………とくに何も思わないし、かなり痛い。「新曲」というあたり、この人はすでに何曲かつくってるんだろうなぁと思うと怖い。通りすがりの人が彼の音楽を聴こうと思う確率は1%を切っていて、幾人かの友人は聞いてくれるかもしれないが、それでおしまい(仮にそれがいい曲だったとしても)。


だったら、これならどうだろうか。

「【初音ミク】さくら【オリジナル】  ども。うp主です。もうすっかり秋ですが、何を思ったかうちのミクが突然さくらの歌を歌い出しました。」

聴きたい。なんかよくわからないが聴きたい。少しだけならいいかと再生ボタンを押してみる。。
そっから先に評価されるかどうかは曲の良し悪しだ。だが、ドライな言い方だけど、初音ミクを利用すればとりあえず再生ボタンを押してもらえるところまで持って行くことが、自分の名前だけで活動する場合に比べて格段に容易くなる。(もちろんニコニコ動画あってのことだけど)


初音ミクとは、「みんなで使える有名人」である。初音ミクに歌わせれば「どこの馬の骨かわからない自分」という圧倒的なハンデを一足飛びに乗り越えることができる。分かりづらい人は、福山雅治が実はロボットで、誰でも自由に歌詞を打ち込んで歌わせることができると考えればいい。福山が歌っているという事実が、曲の作者を不問にする。そしてそれが素晴らしい曲だったなら、事後的に、作者は誰だ?と噂になる。作品さえよければ有名無名は関係ない。なんであんなもんが流行るのだ?と思う人は、そこに一攫千金アメリカンドリームが実現されていることを見落としている。
初音ミクの作曲家たちは、P(プロデューサー)と呼ばれ、しかもP名は往々にしてファンが作曲家に与える。ようするに客の前にミクが立ち、Pは舞台袖で見守り、それが大ヒットをした際にようやくPに名前が与えられるのである。名前をもらうことがひとつの目標となる。これは、逆に言えば、最初はみんな名前がないということだ。誰もが同じスタートラインから始められるのである。

VOCALOID2 HATSUNE MIKU

VOCALOID2 HATSUNE MIKU


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では初音ミクはクリエイターたちに「共有」された存在なのかといえば、それは少し違う。正確には「分有」とでも言ったほうが正しい。なぜなら、初音ミクはソフトウェアであって、買った人それぞれのPC内に存在するからである。だから「うちのミク」という表現になる。また、その外見も、ひとそれぞれである。公式のイラストはパッケージに描かれた一枚の絵だけだったが、今や初音ミクと呼ばれる図像は無数の「初音ミクっぽい」ものへと分散している。緑色でツインテールでネクタイをしていればOKだし、もっと崩してもみんながOKと思えばOKなのである。では、初音ミクは複数存在するのか? 答えはイエスだしノーだ。
初音ミクの拓いた新時代——複数的固有性の誕生」(ukparaの思索メモ (つねに未完成))で、東浩紀の「データベース消費」と比較して述べられているのは、固有かつ複数な存在というのが初音ミクの決定的な新しさだということである。もしかしたら公式のイラストは属性(データベース)に分解できるのかもしれないが、それでも藤田咲という実在する人物の声を持つ点だけは、どうやっても分解できない固有性を持つ。属性の束でできているものがメディアの垣根を越えて複数の生を持つのが「データベース消費」だったとしたら、初音ミクは固有でありながら複数の生を持つという点が新しいと、このブログの筆者は述べている。単数であり同時に複数でもある初音ミクとは、Pたちの異なる世界観=平行世界で生きる「ひとりの」少女なのである。


ここで面白いのは、次の事件だ。

民主党議員が、選挙活動の「秘策」としてボーカロイド初音ミク」を使用しようとしていたことがわかった。当初、初音ミクを使って候補者のプロモーションビデオ(PV)を作ろうとしていたが、権利を有する発売元の企業から「特定の政治団体のためには使えない」と断られてしまったという。(「初音ミク」で選挙活動計画 「政治利用ダメ」で民主議員頓挫livedoorニュース

発売元のクリプトンも熟考の末の決断だったと思う。初音ミクが分裂した存在であるなら民主党を応援しても構わないはずで、それを規制することは初音ミクの複数性の面白さに水を差すことになりかねないからだ。でも、同時に単数であることが、クリプトンの結論を導く。ここには、初音ミクがいかにグレーな存在かということが色濃く現れている。(個人的にはOKしちゃえば、自民党が対抗PV出したりして面白かったかも、と思うけどわからない)

※声のみの利用は許されたようです。が、ニコ動の住人たちはクオリティの低いものに対して容赦ないので、これではフルボッコです。心なしか初音ミクも無理やり歌わされているかのような、つまらなそうな歌声になっているのがすごい。


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ソフトとしての初音ミクに注目してみる(といっても持ってないのでうわべだけ)。「初音ミク」とは、ヤマハ音声合成技術VOCALOID2を使ってクリプトン・フューチャー・メディアが開発したDTM(デスクトップミュージック)用ボーカル音源である。これまでも一人で打ち込み音楽を作ることは可能だったが、ボーカルだけは人間が歌わないとどうしようもなかった。でもたいていの作曲家は歌がうまくないし、一番悲劇的な例でいえば、女性ボーカルの曲をつくりたい非モテ男はどうしたらいいのかという問題があった。だれか自分の曲を歌ってくれる女性を探さなければいけない。でもそれはとても厳しい。初音ミクは、そんな人達にも歌の乗った音楽をつくることを可能にした。
初音ミクはどんな歌詞でも歌ってくれる。だから、使い古しの言葉を羅列するJ-POPトップチャートと比べて圧倒的に歌詞が面白い(当然、NGな歌詞も出現する)。また、人間には歌えない高音、低音、早口、息継ぎなしができるために、聴いたことのない歌が生まれるのも面白いポイントである。楽器にしか聴こえないこともあるし、逆に楽器として使う人もいる。そんな音としての面白さもあるが、やはりここで一番大事なのは「一人で」曲の全てをつくり込むことが可能になったことだ。誰の協力もいらない。楽しいから自分の趣味をおもいっきり表現する。それがニコ動などのメディアで露出する。一般的にはマニアックすぎて陽の目をみない曲たちがものすごいスピードで生産されていく。


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なにより重要なのは「声」そのものである。初音ミクの声は、かなり変だ。ロボット声でありながらどこか人間らしい表情があり、たまにコロ助に聞こえたりもする。ボーカロイドが人間の歌の代理をするロボットだとすれば、かなりへっぽこなロボットなのである。クリプトンはその「いたらなさ」を不思議な魅力として積極的に評価し、売り出している。たとえば初音ミクは未来っぽいかっこいい服装をしているけれど、なぜかネクタイをしている。これは「未来から来たおのぼりさん」を表している。(ソース紛失しました) なんかいろいろ気を使って正装して行った面接で他のみんなが私服だったときの妙な恥ずかしさだ。未来(ミク)から初めての音を届けに来たけど、肝心の歌がうまくなかったorz、というのが逆に魅力になっている。
だが、使用者の技術次第であほで脱力する声だったり、かなり滑らかに伸びやかに歌ったり、機械に聞こえたり人間に聞こえたりする。声質も微妙に変えることができるから、曲によって少しずつ声が違う。声もまた「複数性」を持つが、同時にひとりの初音ミクが歌っているとも解釈可能だ。そしてクリプトンから2010年の4月30日に「MIKU Append」が発売され、初音ミクの声にSWEET、DARK、SOFT、LIGHT、VIVID、SOLIDという6つの音色が加わった。ウィスパーボイスや大人な声を手に入れた初音ミクはいよいよあらゆる方向に拡散していく。固有性と複数性の往復運動が初音ミクの面白さだとすれば、その振れ幅が大きくなることで、固有性もまた強化されていく。
※ちなみにAppendの開発者ロングインタビュー初音ミク Appendに託された「ものづくりの心」(ASCII.jp)は面白いのでおすすめ。

初音ミク・アペンド(Miku Append)

初音ミク・アペンド(Miku Append)


その2につづく