少し長いつぶやき

昨晩のTwitter TL(タイムライン)上。
ラピュタバルスでお祭り騒ぎが起きた(http://monaken.livedoor.biz/archives/51730440.html)と思ったら若い建築家の訃報が流れ、その悲痛な胸の内が伝搬していくが、それもまた別種の議論の介入を受け、またたく間に過ぎさっていく。なくなった建築家の方を僕はほとんど知らなかったが、建築系ラジオのメンバーによるつぶやきは痛ましく、ぼくも悲しい気分になる。
しかし、親しい友人の訃報に対する第一声という本当はものすごく「強度」が強いはずの「つぶやき」も、TL上では泡沫のごとく次々にあらわれる雑多な「つぶやき」と等価のものでしかない。有用な情報も無用な情報も、何気ない暢気なひとことも溢れんばかりの感情の吐露も、すぐに画面外へと流れていってしまう。
へんに茫洋とした空間へと悲しい気分は放り出され、(そもそもなくなった方をほとんど知らなかったということもあり)どういう気分なのか分からない気分に困るのだった。
だがここに、なにか「都市」に似たものを感じる。