頭の中はどこから来たのか?

やっかいなことを始めなければいけない。

自分の頭の中にぼんやりとあった、将来自分の建築理論になるだろうと楽観視していたはずの断片たち。「自分の発想は自分独自のものだ」などと思うほどナイーブではないけれど、いちおう自分で選択してきた本を読んで、あるものには共感してあるものには反感を覚えて、そうやって自分なりにさまざまなものの影響を受けながらもそれなりに「主体的に」構築していったものがいま頭の中にある、、と考えているとしたら、それはそれでかなり危険なことなのだった。

むしろ、現代人のひとりである僕の頭の中は、完全に時代の制御下にある。

そこにほんのわずかな主体性も認めなてはならない!

本当に自分の思考が主体的に行われているかどうかは実はどうでもよくて、「そんなもの認めない!」とすることで得られるもののほうが、自分の成果だと考えるよりも多くのことを得られる気がしたので、そういうことにした。


手始めに、ずっと無視していた建築の歴史(日本の近代建築史)を勉強しはじめた。(僕は人一倍怠慢なので、歴史を勉強するのはこれが初めてだ)
そうしたら、ものの2秒で自分の思考が歴史の中で繰り返し出てくる「パターン」をなぞっていることに気づかされる。


たとえば卒業設計。
卒業設計のとき言っていた「ものそのもの」というのは「建築の自律性」の問題と密接に関わっており、はっきり言ってしまえばあの時点で提出したものは60〜70年代の議論の焼き直しに限りなく近いことが判明した。問題意識は違うとはいえ、村野藤吾篠原一男長谷川堯あたりの問題系と急接近している。そして70年代の記号論を踏まえていないから、ようするにそこから先へはたいして進んでいないのである。(ただ、60〜70年代ほど純粋に「芸術としての建築」を主張できる時代ではなかったからか、僕も「社会性の名のもとに、徹底的に個人的なものが必要」という思考のアクロバットをやってのけている。)それにしても歴史を学べば、自分の作品がいちいち相対化できるのであった(こんなこと今さら言っている)。

ついでに言えば、デザインボキャブラリーが1930年代のコルビュジエ+1970年万博のお祭り広場のスペーストラスなのがすごく面白い。近代建築もアバンギャルドもなんでもお構いなしに趣味化している。歴史的意味を知らないからできた芸当であるが、それにしても選び方が不気味ではある。

さらにこの作品が評価され、世界大会でも評価されたということが、いっそう「自分の考えていたことが実はものすごく一般的であった」という逆説を感じさせる。ぜったいに嫌みに取らないでほしい。でも、たぶんそういうことなのだ。或る程度問題意識を共有している(=理解できる)から評価も発生するのである。

ということは、時代が僕の頭の中を「借りて」作品をつくらせたとしか考えられない。というか、僕だけではなく、一生懸命やっている人の卒業設計は、みなそれぞれに時代の少し稚拙な表出であるのだ。
だったら、なぜこんなものをつくったのかと問わねばならない。


今さらだが、歴史はたくさんの「思考の陥穽」のカタログであると気づいた。そうとうに考え抜いた人であっても、ほぼ間違いなくどれかの「陥穽」の近くを歩いている(あるいはもうはまっている)はずだ。
だから、おっこちないためにも、自分=現代の考えの点検をしていこう。現代のさまざまな言説(それはほとんどリヴァイバヴァルである)の起源をあきらかにしていこう。と思う。
(その先に修論のテーマがあるはずだ/まだ決まってないぜ)