大学を考える僕は建築家なのか?

休憩コーナーの一角をガラスで覆って排気を効かせた部屋が喫煙所だということになったが、それもすぐに使用禁止になってしまった。平成20年から、東大にも禁煙ブームがやってきたのだ。
で、その使われなくなった暗いガラス部屋はずっと放置されたままだった。友達と僕は突然思い立って、その見捨てられたスペースに、館内にあった廃棄の紙の貼られた家具と照明を持ち込んで即席のバーをつくった。みんなが楽しく気分よく使えるように、と思って。(と言ってもただ家具を2、3置いて白熱灯で明るくして、コースターや小さな鉢を置いて「bar」という看板を掲げただけだ。お酒のかわりに自販機の紙コップを置くのである。)
そうしたらなんと、翌々日くらいの学科会議でもう議題にかけられ、「白紙に戻せ」と撤去命令が出たのである。びっくり。
工学部一号館は建築と社会基盤の二つの学科が共存していて、共有スペースを勝手に建築側の学生がいじってはいけないという抗議が、社会基盤側の(うるさいことで有名な)先生から出たという話である。でも、どこからどう見ても良くなった場所(実際、バーになった翌日にはもう学生グループが会議をしていた!)に対して「やめろ」のクレームが出るというのは、どのような心情からのことなのか。あるいは、そういったクレームがある種の正義感をともなって発せられるというのは、なにか彼を後押しするような社会的合意があるからに違いない。


もっとも、僕は「びっくり」しながら「やっぱり」とも思った。僕は入学が2002年で、大学大学院(と留年)を通すと今年は8年目の学生だ。その間の大学というものの大きな変化をひしひしと感じていた。一番の(直接の)原因はやっぱり「大学法人化」だ。
国立大学法人法」は2003年の7月16日に決議された。僕の偏見で要約すると、
「国の保護に頼ってばかりの大学は怠惰になっているから、これからは自分で稼いで自立してくれなきゃ困る。お小遣いは年々減らすから、自分で採算が取れるように社会に開いて、生徒を増やすなり社会人を受け容れるなりして、金になる研究をたくさんして、必要なら教員を減らして、がんばっていってください」というおせっかいだ。(参考:wikipedia「国立大学法人」
2003年は小泉第一次内閣の時代、民営化の名の下にいろんなものが市場原理で説明されるようになった。大学法人化というのもそれの亜種である。ちなみに六本木ヒルズがオープンしたのも2003年で、なんだか今から振り返ると、歪んだ時代だった。でも2004,5年は、いろんな教室で夜寝たし、爆音で音楽をかけながら作業したいときは誰もいない大教室に行ったし、廊下でたばこが吸えたし、キャットウォークで寝ている人もいた。さすがに大学に市場原理が届くのは2、3年遅れるのかも知れない。でもそれは着実に浸透していき、「ビジネスライク」が瀰漫していった。
まず教室は授業がない時間には施錠されるようになった。先日も学生のパワポ発表の練習で使いたいと事務に行くと、担当教員の許可がなければダメだという。屋上も鍵がかかったらしい。天気の良い夏の夜に屋上で飲めなくなったし、こっそり花火もできなくなった。廊下にあった簡易ベッドはあらかた撤去された。玄関で木材をトンカチやっていると公共スペースだからと文句を言われる。安全管理委員会なるものが定期的に巡回しては製図室が汚いと改善命令を出し、そのたびに締め付けが厳しくなる(‥‥)。


ビジネスライクと言ったのは、これらの締め付けがすべて「リスク管理」の考え方からうまれたものだからだ。「学生が何かやらかす」というリスクを減らすためには先に学生の行動範囲を狭めればよいのである。昨今の言説はまことに理路整然としている。こういった考え方は、大学に市場原理がもたらされ始めたのと時を同じくしてうるさく聞こえ始めた。
しかし、本当にビジネスの世界だったら、リスクあるところに旨味もあるということは常識のはずだ。プリン体カットのビールが「まずい」のは「プリン体という健康に悪そうなものが旨かった」からだ。本来リスクは単体であるのではない。もしリスクが単体であるのなら一網打尽にすればそれでよい。でも、現実はそうなっていないわけで、つねに「どっちにも転びうる可能性」だけがあるのである。教室を開けておくことで学生が自主的に勉強会を開くかも知れないし、麻薬取引が行われるかも知れない(実際欧米の学校はこの理由により施錠が基本だ)。「リスク管理」というのは、そうした引き裂かれた状態でなお被害を最小にとどめる有効な措置を考えることだ。つまり、いまの大学の締め付けは「リスク管理」とも呼べない、ただのへっぽこな「責任逃れ」なのである。


でも、翻って大学の立場で考えてみよう。何をしでかすかわからない人間を10000人抱えており、彼等とは直接会う機会がないとする。そんでもって問題を起こす人間は絶えないとする。‥という状況で規制をしたくなるのはあたりまえだ。苦情を受けるのはボスであるこっちなんだ。

問題はどこか?あるいは、次の話はどう考えるべきか?

駒場祭でバンドサークルだった僕はステージでよく演奏をした。でも、ある年から正門入ってすぐ堂々とあったステージが、構内の奥のはずれに移動してしまった。実行委員会が言うには、近隣住民から音がうるさいという苦情があり変更を余儀なくされたとのことだった。ちなみに「夜間居残り」もそのうち禁止になった。

僕はバンドの代表だったので、実行委員主催のつまらない全体会議には定期的に出席しなければいけなかった。そこでこう言われてあたまに来て、時間のあいだずっと配られた紙の裏に意見を書いて帰り際に提出した。
問題はどこか?
当時の僕は実行委員を鋭く責め立てたが、今はそのように考えない。なぜなら自分も仕切る立場に立ったときに同じ事をしでかすかも知れないからだ。ではなく、問題はたぶんこうだ。
「実行委員のメンバーはどういうわけか学園祭を楽しんだことがない」
上の話の場合は、
「ボスは大学時代ぱっとしなかった」
が正解(かどうかは想像にまかせるけど)。ようするに自分が管理しているものがなんなのか、うまく想像できないのである。愛がないのである。もちろん問題には対処しなければならないが、もし「あぁ俺も学生のときはさんざん迷惑かけながら楽しませてもらったなぁ」というボスだったら、「うちのがすみません」となんとか話をつけに行くもんだと思う。それを「責任」と呼ぶのだろう。
この問題はじつは恐ろしい。なぜなら「ぱっとしなかったボスが仕切ったぱっとしない世界で育った人はぱっとしない」からだ。想像力の欠如は遺伝していく。ものすごいスピードで格差(?)が広がっているのも当たり前なのだ。そして一番怖いのは、親子でこれが現在進行中なことである。
僕が今あっけらかんと楽しく生きていられるのは、生まれついた環境による偶然でしかない。だから、なるべく一生「楽しい」を維持して生きて、その分の恩返しを次の世代にすることができたら、それはよい人生だと思うのである。
そしてそういうプラスの循環は、もっとマイナスの循環と死力を尽くして戦うべきなのである。


もし「大学を設計せよ」と言われたら、僕はこのように考えはじめて、脱線を繰り返しながらこういう結論に至る。そして、結論が何らの「建築の形態」を想起させないことに毎度、衝撃を受けるのである(めんどくさいやつだ)。
こういう人間はめずらしいと思う。極めて建築的でないとさえ言える。ただ、僕は<ここから>建築へ跳躍することを夢見る。