(第2回追記)『1995年以降』レビューその後

RAJのサイトに、僕を含めた10人のレビューがリンクされています。
http://www.round-about.org/2009/02/1995_vol1.html
また、藤村さんからは直接メールで感想をいただきました。「他のレビューの批評等もぜひやってみて下さい」との提案があったので、もう少し考えたことを書いてみたいと思います。


・職能コンプレックスについて
まずmiyachiくんの「職能コンプレックス」http://d.hatena.ne.jp/miyachikunihiko/20090211/1234374724が、一般に言われる建築学生のフラストレーションを簡潔にわかりやすく書いていておもしろいです。こんなにキレイな文章まとめる能力、自分にはナイ。。
で、「職能コンプレックス」が広まっていることは僕もよくわかります。でも、これってニートの心理と同じです。
! 建築家の存在が世の中に認められない悔しさ
" 都市のダイナミクスに直接参加できないもどかしさ
# 建築家たち自身の自閉的な活動と、建築界全体の閉塞感
$ 建築あるいは建築家の社会的な存在価値の揺らぎ
の「建築家」を全部「自分」に置き換えてみれば、あっというまにニートのぼやきに変わります。こんな感覚を今の建築学生の大半が共有しているというのは、かなり悲しいことです。これ以上書くと口が悪くなってしまうので書きませんが、こういう気分はさっさと捨てないといい建築は作れません。僕自身もこういうことを考える現代っ子だったのですが、あるときに友人に指摘され、やめました。
もうひとつ問いたいのは「建築家が世の中に知れ渡り、直接都市をつくる力をもっていることがそんなにいいことか」ということです。王様の建築をつくっていた時代だって、国家と一体になってガンガン再開発を行った東京オリンピック直前だって、力強くつくった分だけ力強く何かを壊しているのです。その辺は、もう少し精緻な議論をしていかないとダメです。


・「深層/表層」の罠
DESIGN HUBさんのレビューhttp://blog.livedoor.jp/koyonet/archives/51560379.htmlはなかなか読むのが難しいですが、「深層」と「表層」というタームがでてきたので自分なりに咀嚼してみると、どうやら「深層」とは法や市場などの人の行動を制御するリアルで(そのリアルさゆえ時にダーティーな)力のことで、「表層」とはそれ以外の全て、ということのようです。こういう二分法は実はズルくて、「深層」と「表層」は対等に扱われていません(ただ、DESIGN HUBさんはけっこう対等に使っていて、いいなと思いました)。
miyachiくんによると宮台真司は「現在の社会が「表層/深層」という二層構造になっていること、世の中全ては「深層:不可視のアーキテクチャ」によって支配されて」いることを主張していたようです。この論法には見覚えがあって、マルクス主義が「"ブルジョアジー"が権力を独占しているんだ!」と言っていたのを、「"深層"が権力を独占しているんだ!」というように言い直しただけなのです。つまり、「深層/表層」という二分法を採用することで、「いまや「深層」のみが世界を動かしていて、建築は「表層」に追いやられてしまった。だから再び「深層」に参加することこそ価値があるのだ」という主張があたかも正しいかのように見せかけているのです。さすがにマルクス主義と違うのは、「ブルジョアジーを革命で倒せ」ではなく「深層の内側に忍び込め」というふうに現実的になっている点ですが、「深層」に世の中の悪を押し込めているあたりの短絡は、どちらも同じです。


・ではどうするか
delineさんのレビューhttp://deline.exblog.jp/9671936/は簡潔に各々の議論をまとめていて、共感できるものも多いです。ただ一点だけ気になったのは、中山英之さんの「ショッピングモールの計画者だって、シーツと値段を前に悩んでいるひとりである」という発言を、「建築家は作家でありユーザーであることを意識すべきだ、つまり自分も商業主義に乗っかている一人だということを自覚すべきだ」という主張と捉えている点は、僕は違うんじゃないかと思います。
中山さんの発言はそういったありきたりな糾弾ではなく、もっと前向きに「建築をつくること」の基礎についての発言であるはずです。つまり、この点が僕のレビューで言いたかったことなのですが、横断的想像力を持って、それゆえに引き裂かれた状態でなお設計する。さきほどの話で言えば、自分自身が「深層」と「表層」のどっちでもありうることを自覚した上で計画する。そうした姿勢が建築本来の豊かさにつながり、それが共感されうる唯一の道なのではないか、ということです。じゃあ具体的にどうやって設計するんだ?と言われれば、それはまだわかりませんとしか言えないですが。


異分野に接続するんだ!と躍起になる前に、「建築」本来の固有性を突き詰めて「誰もが使える考え方の選択肢」をひとつ増やすほうがよっぽど価値があると思います。