(第1回追記)Live Round About Journal 2009

先の感想文をRAJのブログで取り上げていただきました。
http://www.round-about.org/2009/02/live_roundabout_journal2009.html
しっかり届いている、というのが嬉しいです。これからもこのサイトをもっとおもしろくして、少しずつ社会に開いていきたいなぁ、と思います。


ちなみに「なぜ社会学者か」には異論反論あると思いますが、この問いは十分に考えてみる必要があると思っています。
最近活躍をしている一部の社会学者は、彼自身が「おたく」のひとりであり(つまり「大きな物語の欠如」と言われる世界で「どうやって生きていけばいいか」を悩み模索する人たち)、そういった世界的な「病み」の「内側」から、なお「生きていくこと」を真剣に考えている人たちなんだと思います。それは「私的な闘い」であり(大きな物語がないんだから当然そうなります)、そういう悩みをみんなが共有しているから、いまや哲学や文学よりも「声」を勝ち取っているのだと思います。もちろん僕もそういった社会学者の仕事はすばらしい試みだと思います(あんまり読んでいないけど)。
ただ、一部の社会学者は「2ちゃんねる」「mixi」「ニコニコ動画」、もう少し前なら「エヴァンゲリオン」「援助交際」といったサブカル的なところから出発していることが多い。それがいい/悪いということはないと思う。けれどそれは、(あらゆる時代の哲学や文学と同じように)現代に依存した「特殊」な思考法だということは強調しておくべきだと思う。そういった「特殊」あるいは「極端」と付き合っていることに、「建築」はどこまで自覚的なのだろうか。そこを絶えず問い続けないような「社会学との蜜月」は、すぐに「建築の息切れ」に変わってしまうのではないか、という不安を僕は抱いています。