(第2回)夏目漱石『草枕』と幸田文『流れる』—その2

で、幸田文である。
僕がこの本を手に取ったのはたまたまで、ある友人のブログタイトルが「流れる」で、そのブログで一度「幸田文」という言葉がでてきた。その時はとくに気にとめたわけではないけれど、本屋でぶらぶらしてたら偶然この文庫本を見つけ、「流れる、て幸田文からきてたのか」と合点して手に取ったのだ。そんな話はいいか。


『流れる』(1955)は幸田文の初の本格的な小説である。父・露伴の死後(1947)随筆を書き、そして筆を置き、さまざまな「バイト」を経たあとの50歳のデビューだった。ちなみに『流れる』はすぐ翌年、成瀬巳喜男によりオールスターで映画化されている。
この小説はとてもよかった。何がいいって文章がいいのである。いったいどうしたらこんな美しい言葉がかけるのかとくらくらするような文章である。たとえばこんな。

主人は子どもに纏られながら、膝を割って崩れた。子どものからだのどこにも女臭い色彩はなく、剝げちょろゆかただが、ばあばと呼ばれる人の膝の崩れからはふんだんに鴇色がはみ出た。崩れの美しい型がさすがにきまっていた。子どもといっしょに倒れるのはなんでもない誰にでもあることだが、なんでもないそのなかに争えないそのひとが出ていた。梨花は眼を奪われた。人のからだを抱いて、と云っても子どもだが、ずるっ、ずるっとしなやかな抵抗を段につけながら、軽く笑い笑い横さまに倒されて行くかたちのよさ。しがみつかれているから胸もとはわからないけれども、縮緬の袖口の重さが二の腕を剝きだしにして、腰から下肢が慎ましくくの字の二ツ重ねに折れ、足袋のさきが小さく白く裾を引き担いでいる。腰に平均をもたせてなんとなくあらがいつつ徐々に崩れて行く女のからだというものを、梨花は初めて見る思いである。なんという誘われかたをするものだろう、徐々に倒れ、美しく崩れ、こころよく乱れて行くことは。

と抜き出してみたが、この人が本領を発揮するのは、台所、あるいはあらゆる家事をこなすシーンなのだ。
「今夜はカレーをつくるつもりだった。野菜を洗って剝き、剝いて切る。鍋には油が芳しい。しゃっと煎る。牛肉は野菜とまじって、うまそうな臭いをあげて煮える。」なんでもない文章だけどおいしそうだ。食べ物がおいしそうといえば村上春樹かな。


幸田文の文章の良さは、ただ美しい言葉の連続というだけではない。生きることにたくましい女であり、あるときは男や家族にひけめを感じる女であり、勝ち気だったり優しかったり毒気があったりするのだが、通底するのは何に対しても正直だということだ。では冷静な観察と正直な心情の吐露だけで文章が成り立つ(というどころかとても美しい)のかといえば、徹底的に「暮らすこと」に向き合ってきた著者の誠実さが、雑巾や割烹着や俎や鍋や箒といった家事の道具やその手さばき、子どものあやしかたから借金の受け取りかたや買い物の仕方といった日常のリアリティに染みついており、それらが言葉に生命を与えているのだと言える。

梅田祐喜さんによる「幸田文の世界」http://bambi.u-shizuoka-ken.ac.jp/~kiyou4228021/14_3/14_3_3.pdf(PDFデータ)に、文が父・露伴に厳しく生活術をたたき込まれた様子がまとめられている。

文さんの受けた教育は、それはそれは苛烈な教育だったように思われます。たとえば、はたきのかけかたを教わったときのことを、文さんはこう回想しています(「あとみよそわか」)。「はたきの房を短くしたのは何の為だ、軽いのは何の為だ。第一おまえの目はどこを見ている、埃はどこにある、はたきのどこが障子のどこへあたるのだ。それにあの音は何だ。学校には音楽の時間があるだろう、いい声で唄うばかりが能じゃない、いやな音をなくすことも大事なのだ。あんなにばたばたやってみろ、意地の悪い姑さんなら、敵打がはじまったよって駆け出すかも知れない。物事は何でもいつの間にかこの仕事が出来たかというように際立たないのがいい。」まったくいやみなお父さんですね。さらに追い討ちがかかります。「ふむ、おこったな、できもしない癖におこるやつを慢心外道という。いいか、おれがやって見せるから見ていなさい。」見ていると「房のさきは的確に障子の桟に触れて、軽快なリズミカルな音を立てた。何十年もした修練はさすがであった。技法と道理の正しさは、まっ直に心に通じる大道であった。かなわなかった」と、文さんは書いていますが、手本どおりに何度やってみても、ピシリピシリと紙を打つ音ばかり。お父さんは、「お嬢さん、痛いよう」、紙が泣いている、とからかいます。こうしたようすを、文さんは、「私は障子に食いさがって何度も何度も戦った」という強い表現で回想しています。
「水は恐ろしいものだから、根性のぬるいやつには水はつかえない」といって、雑巾がけの稽古がはじまります。洪水は恐ろしいけど、どうしてバケツの水のこわいものか、といって雑巾をしぼっていると、ピシっとした声がすぐ、聞こえてきます。「見えた」と言って、指さすところに、意外の遠さまで水玉が跳ねとんでいます。「だから水は恐ろしいとあんなに云ってやっているのに、おまえはは恐れるということをしなかった。恐れのないやつはひっぱたかれる。おまえはわたしの云うことを軽々しく聴いた罰を水から知らされたわけだ。ぼんやりしていないで、さっさと拭きなさい、あとが残るじゃないか」といった調子で、お父さんの怖い声が続きます。

これが修行でなくてなんだろう!武道でも学問でもお稽古ごとでもなく家事だが、まぎれもない、超スパルタ英才教育だ。小さい頃に母を亡くし、姉と弟も失った文に対して生きることの基本を徹底して叩き込んでいる。


『流れる』の文章は音楽のように美しい。最初の引用なんか、読まずに字面を見ているだけで、平仮名と漢字の入りまじりかたからして流麗である。
ここで先の疑問「音楽を生み出しドライブさせるものは何か」に答えが出る。それは「コンセプト」でも「意気込み」でも「原風景」でも「モティーフ」でもなく、「英才教育」なんじゃないかというトンでもない答だ。

音楽、というのはクラシックなりジャズなり、小さい頃からの血のにじむような努力の上に成り立っている。多くを聴き、一秒でも多く声を出しあるいは楽器に触っていた者だけが、いつのまにか貯めてきた豊富なストックをある日とつぜん解放することができる。そうしてとてつもない演奏、新鮮で美しい曲が生まれる。ロックやコンピューターミュージックは「しろうと」ができる音楽を発明したという点では素晴らしいが、常軌を逸するほどに訓練された演奏家の音楽とは別物と考えたい。幸田文が奇跡的な書き手だったのは、「文筆業」の英才教育を受けたことよりも「生きること」の英才教育を受けたことによるところが大きい。なぜなら小説がもっともおもしろいのは「生きること」について書かれたものであるときだからだ。
「英才教育」というと「教育ママ」を連想してしまうかも知れないので、もっといい言い方があるかもしれない。でも、「小さい頃からの長年の努力だけが音楽を生み出す」という答には僕としてはつらいところがある。でも、はっきり言って建築なんかは一般人がつくれるものに成り下がっているし、僕としては自分も一般人=しろうとの一人であるという苦い自覚をしながらも、音楽を目指したいという気持ちがあって仕方がない。もう25にもなってしまって、図面を100枚手書いたということもなければ京都の寺で座禅をくんだこともない。クロス張りフローリングの下宿に暮らし、暢気に頭で考えている建築学生だ。これじゃくそダメである。しろうとさんである。最上の美しいものに囲まれていないものは、美しいものなど創造できないのだということを、幸田文は僕に知らせる。


おまけに、あとがきで高橋義孝が指摘するように、幸田文の擬音語がまた良い。
「主人はぶりぶりして出かけるしたくをし、留守の間のしごととして、ぐうんとした洗濯物が出された」
「要処々々の戸口へ立ってなにかぐしゃぐしゃ拝んだり、台所のガスを調べに行ったり、一トしきりうちじゅうをわさわさとして、娘の勝代といっしょに二階へひきあげて行った」
江戸っ子ことばの間にときおりはさまるオノマトペが、なんともかわいいのだ。