(第1回)『愛と哀しみのル・コルビュジエ』市川智子さん

http://www.h5.dion.ne.jp/~sujaku/itikawa/c-0.html

は、おもしろい。こんなことを学びました。


○シャルル・エドゥアール・ジャンヌレ(のちのル・コルビュジエ)の処女作ファレ邸は、美術教師レプラットゥニエ先生のジョン・ラスキン好きの影響がある。この時代の作品からの決別が、ル・コルビュジエの原点にある。


オーギュスト・ペレが(文字通りの)構造主義の先駆けであること。ル・コルビュジエもまた「構造」に未来を感じていたこと。それはウィーンへの幻滅や、東方への旅でパルテノン神殿に啓示を受けたことからも想像できる。


○宇宙的なルネサンス=「ドーム」に対して、高さと光のゴシック=「尖塔」という二分法は非常におもしろい。高級な人文主義者と、欲望のままの大衆。そして構造主義者のペレは、ルネサンスを嫌い、ゴシックを評価する。(コールハースの「針」と「球」を思わせるじゃないか。じゃあマンハッタンとはその針と球を掛け合わしてできたものなのか。これは面白そうだ。『錯乱のニューヨーク』はいずれ再読しなきゃならん)


○ドイツというところはいなかのゲルマン人の住んでいた森だった。それがキリスト教の受容とともに「国」というものを意識しだす。それでできた「神聖ローマ帝国」というのは首都もなく、名前だけは立派だがローマ教皇の傀儡のようなもので、免罪符を買わされる田舎のあわれな大将だった。そういうところだから、無からまともな「国」を作り出さねばならなかった。ルターが現れて宗教改革が起こったり、数々の偉大な哲学者が生まれた。啓蒙専制君主プロイセンは上からの近代を進める。


○ペレ、ベーレンス事務所で働き、東方への旅をし、地元に帰ってきたエドゥアール。両親のためのジャンヌレ=ペレ邸は老いた両親には大きすぎ、シュウォブ邸の訴訟時に売り払うことになった。第一次世界大戦による建材の高騰。ヨーロッパは不幸になり、スイスの保守的な街で無名の建築家をやることのやりきれなさ。ここまでがル・コルビュジエ前史。


というところでウェブ上では更新がないのが残念。けれど建築文化シナジーから本が出ています。市川さんは、数少ない信頼できる建築の語り手(「まじめ」で「おもしろく」て「わかる」)だと思います。